さよならだけが人生だ
とある友人と待ち合わせ。
その友人には驚きの癖があり、その行き過ぎた人間らしさには、ほとほと手を焼いています。
簡単に言えば「待ち合わせ場所に時間通り現れない」という謎の特質です。
遅れるたびに抗議しても「待たせて悪い」とか、「反省して次回は急ぐ」という感覚にはならないようで「何をそんなに怒ってるんだ?」といった様子。
当然の帰結として、次の待ち合わせも遅れてやってきます。「やぁ」とすまし顔で。
そんな友人とビル風吹きすさぶ真冬に待ち合わせ。なにも外でバカ正直に待つ理由はありません。
「どうせ待たされるのだから本屋でも行くか…何か手軽に読めるものでも…」そんな気分で眺める背表紙の羅列。
元より暇つぶしなので想像の羽が広がります。
「お、村上春樹だ。そういえば村上春樹が新作を出したみたいだな。またノーベル賞についていらんウンチクを垂れる批評家が出てくるんだろうな…。
凡人からの批判は天才の証とは言うものの、煩わしいものだろうな…。
ただまあ、箸にも棒にもかからない作家が多い中、口の端に上るだけでも幸せか…。」
などと取り留めもないことを考えながら
「まだ読んだことがなくて、長すぎず、気軽に読めそうなものっと。お、これなんか良さそうだ。」
そうして手に取ったのが「スプートニクの恋人」。
「スプートニクの恋人」は1999年に講談社から発刊。村上春樹の代表作の一つ「海辺のカフカ」の一つ前の長編小説。作品全体から見れば比較的新しい部類になるようです。
結論から言えば、この小説の主題は「孤独」です。
題名にあるスプートニクとはロシアの人工衛星。生体実験で犬が載せられた。帰ることのない一方通行の旅。
広大な宇宙をさまよう衛星の中で犬は何を思ったか。
人物の相関図を簡単に解説すると「すみれ」を愛する「僕」。「ミュウ」を愛する「すみれ」。誰も愛することができない「ミュウ」。
主な登場人物がそれぞれの軌跡を描きながら、漆黒の宇宙を旅する衛星のごとくすれ違う。
付け加えるように「僕」は不倫相手のガールフレンドと関係を持ち、実験の犬を思わせる「にんじん」と呼ばれる少年も登場する。
「僕」が「すみれ」求めてもすれ違い、
「すみれ」は自ら飛んでいるようで彗星(ミュウ)の引力に惹きつけられ、
「ミュウ」は夢と現実に擦り切れて音のない白色矮星になり、
「僕」と「ガールフレンド」が求めずして交差しても憐憫に終わる。
とかく人は互いを理解しているようでしていない。求めても得られるとは限らない。偶然距離を縮めても、衛星は衛星としての役割をやめられない。それが衛星であることの証明であるから。
埋まらない孤独を埋めようとする行為と、すれ違いのドラマ。
舞台は東京と、エーゲ海の島。レモネードとマックブックとワインをアクセントに…。
手軽に読める恋愛小説をと思って手にしましたが、読み方によっては手軽に読み終えてしまうという、不思議な小説でした。
この小説を読んで思い出したのは、井伏鱒二が翻訳した「勧酒」の一説。
「さよならだけが人生だ 」
時間に遅れた友人を怒るより、会えた偶然に感謝しようか…。
釈然としない気持ちは酒と共に飲み込んで。