イスラエル在住の社会学者であるハラリ氏による著作。ゲイでヴィーガン、瞑想がルーティーンというなかなかアクの強い人物です。
ハラリ氏の代表作は「サピエンス全史」。Facebookの創始者ザッカーバーグ氏が取り上げたことで話題になり世界的なベストセラーになりました。「サピエンス全史」では過去の人間の歴史を紹介しています。本作は21世紀を生きる人間がどのような問題意識を持って生きていくべきかを21のテーマに分けて論じています。
現在はグローバリズムとデジタル化によって加速度的に社会構造が変化しています。その証拠に我々の親世代には存在した職種の多くが我々の世代で消滅しました。
狩猟民族から農耕民族への比較的ゆっくりとした進化では適応が可能だった人類が、産業革命からグローバル化への怒涛の変化には対応できるのか。
そうした問題を示すかのように2020年現在、コロナによるパンデミックが起こりました。皮肉にもコロナは地球温暖化や、人間の行動範囲の拡大、国によって異なる公衆衛生意識や行動制限の限界など、著者が指摘する多様な問題点を浮き彫りにしています。
インターネットによって情報が溢れている現在、どの情報が正しいのか判断が難しくなっています。すべての情報には何らかのバイアスがかかっているからです。そのためハラリ氏は本書で明快であることに力を入れたと主張しています。
そのせいかはわかりませんが、内容がわかりやすい反面、多くのテーマで結論への展開が急角度です。性急で断定的な物言いの部分があるのですが、もしかするとハラリ氏なりのイスラエルジョークとも言えるサービス精神なのかもしれません。残念なことにそうした茶目っ気のせいでそれぞれのテーマ間で矛盾が生じています。
これは私見ですが、あまりにも多くのテーマを扱いすぎて、AIやアルゴリズムなどといった著者の専門分野でないテーマについては理解不足の印象を受けます。補足で扱われるのがSF小説や映画である点を取っても根拠として弱い印象を受けます。事実は小説より奇なりとも言われますが、21世紀に起こることはなさそうなテーマも多く見られました。
しかし「社会学者であるハラリ氏があえて専門以外の分野について問題点を提示する」というのが本書の意義だと考えれば、多少のずれがあったとしても非難には当たりません。むしろ、複雑に権利の絡まった現代の諸問題を解決するには、ハラリ氏のような「どこから見ても部外者」という姿勢のほうが正鵠を射やすいということもあるのかもしれません。
本書を読んで印象深いのは、ハラリ氏の主張が既存の枠組みに捕らわれていないという点です。イスラエルに生まれながらイスラエル人の抱きがちな民族のドグマ、ユダヤ教のドグマを真っ向から否定しています。それだけでなく「宗教はフェイクニュース」「人生を物語として捉えがちだが、あらゆる物語は虚構である」と主張します。このような過激な主張を行う氏のバックボーンはなにか。それを紐解くのに最もわかりやすいのはゲイについての質問に答えた以下の動画です。
質問の中で以下のように語っています。
「私が若い頃、男の子はみんな女の子を好きになるものだと言われました。そして、私はそれを信じていました。 それは人間が作り出したストーリーに過ぎないのだと気付くまで、長い時間がかかりました。男を愛する男もいるのがリアリティーで、たまたま私もその一人だったのです。 たとえ、ほとんどの人が信じているストーリーと矛盾しているとしても、リアリティを受け入れることはすばらしい知恵です。」 【和訳】ユヴァル・ノア・ハラリが語る、ゲイであること(そして科学研究で大事なこと)より
ハラリ氏にとってこのような否定しようのない実感が、すべての物語を疑うという斬新な切り口に影響を与えたのだと思います。学者がどれだけ中立であろうと心がけても、知らず知らずのうちに自らの国や民族、宗教的価値観といったアイデンティティを通して物事を解釈しがちです。そうしたバイアスのかかっていない歴史学者が、現代における問題点を指摘する。それを垣間見れるのが本書の面白さです。
自国民だからこそ自国の歴史を正しく理解することが困難というパラドックスを抱えている現代にあって、フラットなバランス感覚を持った意見に触れることは、過剰なナショナリズムが顔をもたげている現代人にこそ必要なのかもしれません。