OXY NOTES

書評:マイケル・サンデル「これからの『正義』の話をしよう」

深夜に歯を磨きながら暇つぶしにテレビをつける。
目当ての番組もなくポチポチとチャンネルを変えるとNHKの「ハーバード白熱教室」。
ハーバードの授業なんか一般人には難しいんだろうなぁ」とリモコンを置く。すると有名なトロッコ問題のジレンマについて講義が始まる。

走るトロッコ。その先には5人の作業員。ブレーキが間に合わない。ただし路線を切り替えるスイッチがある。しかし、切り替えた側にも別の作業員が1人存在する。
何もしなければ5人が犠牲になり、5人を助けるために路線を切り替えれば1人は犠牲になる。あなたは切り替えますか?それとも切り替えませんか?

この質問をすると多くの人が切り替えると答えるそうです。しかし電車を止めるために仲間をトロッコに激突させるかと聞かれると多くの人が反対します。そもそも我々には5人を助けるために1人を犠牲にする権利があるでしょうか。また切り替えを是とした人は、自分自身や近しい人が犠牲になると知っても納得できるのか。

これは極端な例だと思えるかもしれませんが、現実でも似た例は起きています。遭難した船で死にかけの仲間を食べて生き延びた例。車のリコール費用と、事故が起きた際の賠償金を天秤にかけた例。タバコ業界が政府への売り込みの際にタバコの喫煙によって国民の寿命が短くなれば結果として社会保障費の節約になると主張した例。

こうした議論はコロナで苦しむ今でも現在進行系で問題を投げかけます。ロックダウンによってコロナの被害を減らすか、経済を優先するか。人はコロナでも死ぬし、経済を止めても死ぬ。刻一刻と姿を変えるコロナを相手に、1日の死者が何人になればロックダウンを解除するべきなのか。政治は何を優先し、何を犠牲にするべきか。世界中で議論されています。

そんな問題に答えを求めてハーバード大学で教鞭をとる著者のマイケル・サンデル教授。「正義」と銘打たれた講義でアメリカの学生は何を学ぶのか。

まずはジェレミー・ベンサムによる功利主義を紹介。続いてジョン・スチュアート・ミルの反論。カントによる頭でっかちな人間の尊厳に関する考察。アメリカの病理とも言えるリバタリアニズム(自由至上主義)。そうした血の通ってない個人主義や経済至上主義の欠点を補う政治哲学として著者は個人やコミュニティを「物語」として捉える視点を投げかける。

こうした政治と哲学という複雑な命題を、大学の制度やスポーツ、社会問題などを通して大学生にもわかりやすく解説しています。私としても何度学んでも忘れてしまうカントによる道徳形而上学原論をまた別の角度で学習し直せました。また忘れてしまう危険性も十分にありますがw

本書を読めば、保守とリベラルが複雑に対立するアメリカの政治を理解できるようになります。また、コロナ対策でマスクをしない自由を掲げたり、銃規制についての堂々巡り、国民皆保険が拒否される理屈、人種差別をめぐる連日の暴動、21世紀の現代に国境に壁を建設すると公約を掲げる大統領が就任するという、日本人からすると謎めいたアメリカ政治についても理解が深まります。

題名の「これからの『正義』の話をしよう」からもわかる通り、サンデル教授は正義とは固定した概念ではなく、時と場所で異なり、常に変化するものと教えてくれます。今を生きるために、我々は政治を血の通ったものにするための努力を続けていかなければならない。