私のブログ論


投稿日:2016年1月16日
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ブログを殺さず活かす方法

brog

2011年にブログを作成して数星霜。当初は個人的な備忘録として開始しました。
流行り廃りに流されつつも、どうやら現在の形に落ち着いたようです。

おかげさまで先日、RSSの読者数(feedly)が256になりました。
256というキリの良い数字を1つの区切りとして、ブログ運営の雑感を「ブログ論」としてまとめてみようという試みです。

図らずして長文になってしまいました。お暇な時でもお目汚しいただけたら幸いです。


目次


大前提として自由

ブログとはかくあるべき。と鼻息荒く主張する人もいます。しかしWeblogの由来を持ち出すまでもなく、使い方は自由です

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紙を1枚渡されて、詩を綴る人もいれば、絵を描く人もいます。飛行機を折って飛ばすのも素敵な使い方です。
大前提として、この自由があります

WordPressのような多機能なCMSが一般的になり、ブログの垣根もあやふやになっています。アメリカでは大手のメディアが共同ブログという形式で運営されています。もはやブログという言葉の定義が古いのかもしれません。

その大前提を踏まえた上で、個人的にブログを運営している理由を綴ります。


まとめは学び

このブログでは、新しく学んだ技術を積極的に発表しています
意図して専門外の記事を書いています。情報を整理し、理解を深めるためです。

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学ぶ」という仕組みと、ブログで発表するということは、すき焼きと卵のようにとっても相性が抜群なんです。
プログラミングを例に「学ぶ」ということを掘り下げてみます。

新しくものを学ぶには、いくつかの段階があります。

  • 1.お手本から学ぶ
  • 2.実際に手を動かす
  • 3.自分で応用する
  • 4.人に教える

1.お手本から学ぶ

新しいプログラミング言語を学ぶ際、専門書を読みます。この時に全体像を掴み「勘所」を探ります。

勘所」は「自分にとって必要な部分」のことです。新しい言語を覚える際、全ての解説を読む必要はありません。
大抵の言語は共通した項目があるからです。そのため、1つ目に覚えた言語より、2つ目、3つ目に習得する言語の学習コストは比例するように下がっていきます。

しょせん人間の能力差など、たかが知れています。この勘所をいかに掴み、効率よく学べるかが学習能力の差となります。

例外として「プログラミング言語を初めて学ぶ」という場合は、全体を俯瞰するように学ぶ必要があります。
しかしこの「全体を」というのも、時と場合によります。
通常プログラミング言語は多様性を持っており、実務で使うのは限られた部分だからです。しかし初めて学ぶものにとって「どの部分は後回しにするべきか」の判断は困難です。
そこで良い先生を持てるか、良い書籍を選べるか、といった「お手本選び」が重要になります。

2.実際に手を動かす

自転車の理屈を学ぶのと、実際に移動するのが異なるように、自分で動かすことができなければ意味がありません。
実際に手を動かすなかで重要なのが「エラーの対処を学べる」という部分です。

実際に動かしてみると、多くの場合思い通りに実行できません。理解不足、環境による違い、単純なスペルミスなど、様々な要因でエラーが発生します。
このとき「何を間違えると、どんなエラーが出て、どう対処する」という対処法を学ぶことは、実務で大いに役立ちます。
実務はトライ・アンド・エラーの繰り返しだからです。

3.自分で応用する

基礎を理解することと、自分のやりたいことを実現するという間にも、大きな違いがあります。

調べる能力

違いの1つに「調べる」ということがあげられます。
いわゆる「デキる人」には「調べる能力」があります。

応用は参考書の知識だけではできません。必要な情報を調べる能力が求められます。昔であれば辞典のようなオライリーのリファランスを紐解きましたが、現在ではWeb上の公式ドキュメントを検索します。
どこを探せばよいか知っている」というのも知識・経験の1つです。それだけで作業効率は大きく異なります。

また、公式ドキュメントを理解するには、ドキュメントの書式を理解する必要があります。(オプションや返り値、デフォルト値の表現など)ドキュメントの読み方はあまり解説されませんが、同じ記述でも全く別の意味を持つ場合があるので、ドキュメントを読み解くには重要な要素です。
これはある程度の慣れが必要です。

調べることを難しくする、もう1つの要因は英語です。
これからプログラマーとして大成しようと思うなら英語は必須です。最低でもドキュメントを読んだり、コメントを理解し、追加する程度の英語力が求められます。

というのは理想論で、ほとんどの人は日本語の解説書や公式ドキュメントで学習をします。日本で売れているオライリーの書籍は圧倒的に日本語版です。(英語版のほうが安価に購入できるので、英語ができる方は英語版がお薦めです)

ただ、翻訳されるまでの間に情報の陳腐化は避けられません。特に対象が専門的であればあるほど、最先端であればあるほど陳腐化による価値の低下が顕著になります。

複雑なものを簡単にする能力

もう1つの違いは「複雑さ」です。
実務で求められるコードは、学びやすく単純化されたサンプルとは異なります。実際には様々な制約が出てきて青写真のようには実装できません
また、どれだけ単純な関数を組み合わせて作っても、実装する機能自体が複雑になれば、どうしても全体として複雑になります。

ただ、そうした問題は世界中のプログラマーが共有しているため、よく使う機能であれば「複雑さ」を解消する方法が確立されています。確立されたテンプレートやライブラリを知っている、もしくは調べて実装することができるという能力も応用には必要になります。

このように「応用」には、学んだ中から必要な部分を選択し、足りない部分を調べ、より良い実装を考えるという能力が求められます。

4.人に教える

人に教えるために必要な能力は、自分で学ぶ時に求められる能力と異なります。

精神的な違い

まず一番大きいのが精神的な部分です。
直接・間接問わず「そこに相手がいる」と想像力を働かせれば「相手にわかりやすく説明したい」「適当なことを教えられない」といった責任感が出てきます。

また「良い情報を共有したい」「賞賛されたい」「間違えて恥をかくのが嫌だ」といった人間関係ゆえに生まれる欲求も、学習の良いスパイスになります。

必要のない部分から再発見

また、教える相手がどれだけ知識を持っているかわからないという点も自分で学習する時と大きく異なります。
相手の知識量がわからない場合「自分にとって必要のない部分」も解説する都合上、目を通さなければなりません。

大抵の場合「自分にとって必要のない部分」は、新しい発見の宝庫です。
一度では理解できなかったことが、頭にストンと落ちてくることがあります。「ゲームのプレイ後に説明書を読んだら、新しい発見がたくさんあった」というのと同じです。

ストーリーで覚える

多くの公式ドキュメントは網羅的であるがゆえに、順序立てて学ぶには向いていません。
そのため解説のために「どのような流れで学習するのが効率的か」を考えることになります。学習全体の構成を組み立てます。さらに情報の重要度を判定し、取捨選択します。
その作業がそのまま学習対象の構成を頭のなかで構築することに繋がります。
断片的だった知識が、1つのストーリーとして記憶されます。

以上の点から、「人に教える」という作業は教える側にとっても多くの利点があります。
まさしく「情けは人のためならず」ですね。

これが私がブログを続ける1番の目的です。
もちろん良いことばかりというわけではありません。単純にまとめるのに時間がかかります。1人でもどんどん最先端の分野を学び尽くす。という方には向かないかもしれません。

以上の理由から、とかく内容が難解で、学習意欲の維持が難しい分野ほどブログで解説するよう意識しています。
また、PVを集めやすい「○○まとめ」といった記事を書くのではなく、まとめられる側の記事でありたいと考えています


巧遅は拙速に如かず

巧遅は拙速に如かず」とは孫子の言葉で「時間のかかる完璧なものよりも、不十分でも早い方が良い」という意味です。
FacebookのCEOザッカーバーグ氏の「Done is better than perfect(完璧を目指すよりまず終わらせろ)」にも共通する言葉です。

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あえて時間的制約を作る

鉄は熱いうちに打て」と言われるように、世の多くの事柄は時を逃すと成り立ちません。

良い物を作ろう。人に認められるものを作ろう」という感情はモチベーションに繋がりますが、こじらせると完璧主義に陥ります。
作家の太宰治はこのジレンマを「おいでおいでのデーモン」と表現しました。

解説するまでもなく、完璧な記事など存在しません
細部にこだわり過ぎて全体がまとまらない。右へ左へと優柔不断に変更する。そうした落とし穴は、ものを作った経験のある方なら誰しも共感していただけると思います。

冒頭で「ブログは自由」と書きました。
自由は素晴らしいものですが、創造性はむしろ制約から生まれます。

魚が自在に泳ぎまわるのは水の抵抗があるからです。電車の運動効率が高いのは線路の上を走るからです。夏休みの宿題をするのは最終日があるからです。

ブログにおける制約とは、例えば期日を設けることです。そうすれば記事にかけられる時間を逆算することができ、緊張感とリズムができます。結果として、良い記事を早く作る癖ができます。

魚の骨が可動域を制限することで強い推進力を生むように、自分で設定した制約は生産性を高めます。
もちろん変に追い込むということではありません。自分で決めたルールなんて、息が詰まりそうなら破ってしまえばいいんです。

あえて不完全なものを公開する

不完全のものを公開すると言っても、意図的に間違いを残すわけではありません。厳密な校正を省略するという意味です。

プロの編集者による厳密な校正

プロの編集者による、校正の厳格さを物語る有名なエピソードがあります。
ある文学作品に蝉の描写がありました。作中に出る蝉の鳴き声が、本当にその時期に聞こえるのかどうか、編集者が実際に作中の場所を訪ねて確認したというのです。

何を馬鹿げたことを」と思われるかもしれません。しかし、現実に松尾芭蕉が詠んだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」に出てくる蝉の種類で大論争が起きたことがあります。
アブラゼミではやかましすぎる、ヒグラシだと時期がおかしい」と、大の大人が喧々諤々の議論をしました。たかが蝉の種類で…と思うかもしれませんが、研究者にとっては重大な問題です。

蝉1つ取ってみてもプロのこだわりは相当なものです。プロのプロたる所以でしょう。しかし、そうは言っても、ブログに蝉が出るごとに確認に行っていたら、どれだけ時間があっても記事は完成しません

厳密さのもたらすパラドックス

7割の完成度にするのにかかる時間が「1」だとすると、9割から完全なものにするのに「3」の労力がかかるという説があります。たかが1割のために、3倍もの労力を必要とします。

また、こだわりを持って細部を作りこめば良いというものでもありません。
凋落が囁かれるEvernote。その原因は「5%問題」とする記事が最近ありました。

Evernoteでは需要の少ない機能でも、要望があれば積極的に取り入ました。その結果「一般的な使い方では全機能の5%しか使わない」という状態になりました。
ほとんど利用されない95%の機能をサポートするために多大なリソースを割くことになります。当然のことながら動作は重くなり、利便性は損なわれ、利用者は離れてしまいました。

健全なサービスを運営するには、時に何かを切り捨て、妥協することも必要です。

恥は先週の晩ごはん

そうは言っても「中途半端なものを発表して恥をかきたくない」という方もいると思います。とある有名な作家は「作品を発表するということは、恥をかくことだ」と断言しました。世界的に名の知れた作家ですらそうなのです。男らしく、諦めましょうw
歩かなければ転びませんが、それでは前に進めません。

その点、ブログはいつでも簡単に修正できます。間違いに気がついたら、何食わぬ顔で修正すればいいんです。大抵の人は、人の間違いなどいちいち覚えていません。先週の晩ごはんみたいなものです。

迷ったら「えいやっ」と公開ボタンを押しましょう。


コミュニケーションという劇薬

ブログでは様々な仕組みで、人との繋がりを持つことができます。
お礼のコメントや、間違いの指摘、相互の連携など、良質のコミュニケーションはブログの創作意欲を大いに刺激します

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もちろん精神的なものだけではなく、複数で1つのものを作成したり、補完し合ったりと、相乗効果を生みます。そうした繋がりは互助会などと揶揄されることがありますが、それを言うなら世界的な潮流であるオープンソースなど互助会の最たるものです。

コミュニケーションの例で言えば、かつて隆盛を極めたmixiの「足あと機能」を思い出します。「mixiを退会する最大の理由が足あと機能の煩わしさである」というアンケートを元に、「足あと機能」を廃止しました。
すると「誰に読まれているか」をモチベーションにしていた利用者は日記を更新をしなくなり、結果として衰退は加速しました。
足あと機能」は煩わしいコミュニケーションであると同時に、利用者の求めるコミュニケーションでもあったという皮肉な話しです。

mixiの例にある通り、何かを世間に公表している以上、評判や評価が気になります
PVがどれだけあり、どんなコメントが付き、どんな人に閲覧され…と、分析という名のエゴサーチを繰り返すのが多くのブロガーのさがです。
個人的な例を言えば、コメントで褒めてもらえたら比喩でも何でも無く、小躍りしますw 何度褒められても、嬉しいものは嬉しいものです。

1.PVは全てお礼

全利用者のうち、お礼のコメントをしたり、SNSで拡散するのはごく一部です。感覚的には1万PVのうち、1件のアクションがあれば多いほうです。

自分の例で考えてみてください。調べ物をしていて、webページの情報が役に立ったとしても、お礼のコメントは残さないのではないでしょうか。

直接のアクションがなくても腐ることはありません。PVがあれば、必ず誰かの役に立っていると考えるべきです。

1.繋がりは自分で作る

人は円滑な人間関係を築くために、長い時間をかけて社会性を獲得します。
現実の人間関係がそうであるように、ブログで円滑なコミュニケーションを行うには修練が必要になります。

例えば、はてなブックマーク等のブックマークサービスに登録してもらいたい場合、1ページの情報量を増やすと効果的です。ざっと一読できない量で「役に立ちそう」「後で読もう」と思わせるページ作りが重要となります。ブックマークサービスは付箋

Facebookはよそ行きの記事が向いています。
いいね」というボタンが示す通り、趣味の良い物、耳障りの良い物、知的なもの、社会的意義のあるものなどが向いています。身元が判明しているからこそ、自分を一段よく見せるような記事が「いいね」されやすい特徴があります。Facebookは装飾品

Twitterはいわゆる炎上に向いています。
拡散力が一番高いのがTwitterです。笑った、怒った、びっくりした、といった感情の条件反射として利用されます。
ただTwitterでの拡散を狙いすぎて本当に炎上するのは最も愚策です。Twitterはうわさ話

他にもコメントやRSSなども、向き不向きがあります。これらの手法についてはSEOブログで語られ尽くしているので、そちらに任せます。

1.声の大きい少数派

記事に対して直接付くのがコメントです。

コメントの質は、コメントをする側の知性に関係するため、専門性の高い記事の場合は有益なコメントが多く、敷居の低い記事の場合は荒れる事が多くなります。また、大規模に拡散された場合は、記事を読まずに、タイトルや見出しに条件反射したようなコメントが増えます。

荒れるコメント

舌鋒鋭く既成概念に切り込むような、本物のジャーナリストであれば、既得権益者や自称常識人に批判を浴びることになります。ただ、これは想定内で、ジャーナリストにとっては応援のようなものでしょう。

丸い卵も切りようで四角」と言われるように、批判のための批判はいくらでも可能です。
また「面と向かって言うことができないことも、ネットなら書き殴る」という精神的に未熟な層も一定数存在します。

利用者の多様性という意味で考慮しないといけない事柄に、精神疾患者の問題もあります。ある統計によると生涯のうち何らかの精神障害を一時的にでも罹患する割合は2割にもなるそうです。
障害の程度や症状は千差万別です。自意識過剰と強迫性障害、思慮深さと被害妄想、正常と障害の境界はもとより曖昧です。

いちいち相手をするだけ無駄ということもあります。生暖かい目で見守るのも大切です。

繰り返される誹謗中傷

問題は、そうした発言が残るということです。コメント欄を無くしたとしても、Twitter、Facebook、はてな、魚拓、などなど消えずに残ります。

前向きに捉える
批判があるのは想定内
アンチは人気の証
心ないコメントなんて無視する

こう認識するのが正解でしょう。ただ、正しいからといって、割り切れるものではありません。認識と実感は別のもので、寒いという認識と、凍えるという体験には、大きな隔たりがあります。

ブロガーも当然のことながら感情を持った人間です。元気なときもあれば落ち込んでいることもあります。心が弱った時に誹謗中傷を浴びせられると堪えます

また、どんな正しい心得を持ち、修練を積んだにせよ、弱点はあります。完璧に見える人もコンプレックスの1つや2つを持っているものです。どうしても触れてほしくない、デリケートな感情の真ん中を無神経に逆なでするようなコメントもあります。

それでも「平気だとよ」と言うのは強弁というものです。

この問題は「これだ」という解決策がありません
そういうものだと納得する。好むと好まざるとにかかわらず、太陽は東から昇り、西に沈む。春になれば種は芽吹き、秋には枯れる。人気が出れば、心ないコメントに傷つく。
そういうものだと納得しましょう。

それが嫌なら公開するのをやめましょう。何も技術を共有する術はブログだけではありません。身内で教え合うもよし、勉強会をするもよし、自由です。

このようにブロガーにとってコミュニケーションは薬であると同時に毒でもあります。公表するという茨の道を選んだ以上、甘んじで飲み込みましょう。

どんな社交的な人間でも「一人でいると寂しくて、沢山いると邪魔になる」の間を行ったり来たりするものです。それでも、どうしてもクサクサしたら、酒でも飲みましょうw


背伸びをしても背は伸びない

記事を作れば「少しでも多くの人に読んでもらいたい」誰しもそう思うはずです。
他人の華やかなPV報告や、大量のブックマークを見れば、羨ましく思うのが当たり前です。

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え!あんな簡単な記事がなんで」「自分の記事のほうが何倍も役に立つのに
自分の記事に自信があるなら、正直な感想でしょう。

このブログ内の記事でも「なんでこの記事が評価されて、あの記事が評価されないのだろう」と頭をひねることが多々あります。

そうした感情を解消すべく多くの人が飛びつくのがSEOです。
もっと宣伝して見てもらえば良さがわかってもらえるはず」こうした試みは大抵無残に失敗します。

かつてのSEOを並べてみましょう。

  • キーワードを羅列する。
  • 品質度外視でひたすらページ数を増やす。
  • SEO業者に依頼して有料リンクを増やす。
  • サテライトサイトを量産してリンクを増やす。
  • 他人の手を借りてブックマークサービスに登録しまくる。
  • SNSに何度も書き込む。

現在では全てペナルティの対象です。
本来SEOはサーチエンジンに対して最適化することを指します。上の手法はどうでしょうか?どれも最適化の枠を超えています。
虚像はどこまで大きくしてみても、結局虚像です。そんなものに時間を潰して、本来書けたはずの記事が書けなくなっては、あまりにもったいない。

SEOは化粧と同じで、やり過ぎない程度で良しとするべきです。
どんなに対策をしたとしても「Googleのガイドライン」以上にする必要はありません。

偉大な画家が生前評価されることは稀です。本当に良い物が、良いと評価されるには時間がかかります。流行りや運だけで有名になっても、いずれ飽きられ消えていきます。
その点、時間というものは不思議な公正さを持っています。

背伸びをしながら山登りをしても、足がつるだけです。
しっかり地に足をつけてゆっくりでも着実に登って行きましょう。
高いところから見える景色は、背伸びをしてみる必要がないくらい、素晴らしいはずです


活かす収入、殺す収入

ブログを支えるモチベーションの1つに収入があります。
ブログで得た収入で本を買い、新しい知識を増やす。新商品を購入しレビューする。取材費に当てる。魅力的な記事を書くために収入を使えば、WIN-WINの関係と言えます。

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収益化には大きく分けて2種類あります。
1つは広告枠を提供して報酬を得るタイプ
もう1つは商品を売る、契約が成立する、といった成果に対して報酬を得るタイプです。
前者の代表はGoogle AdSense、後者の代表はAmazonアソシエイトなどのASP(アフィリエイト・サービス・プロバイダ)です。

広告枠の提供

Google AdSenseはブログに広告枠を作って提供するという考え方です。ブログの内容や、ユーザーの特性に合わせた広告が自動で表示されます。
普段ネットを利用していて意識することはありませんが、表示されるごとに効果的な広告を表示するべく、入札が行われています。

その他にも、特定の広告主から直接依頼を受ける純広告もあります。
純広告は1番ありがたい形式ですが、依頼によって成り立つため、狙って掲載することは困難です。

この「広告枠を提供する形式」のメリットは、自分で広告の種類を選ぶ必要が無いということです。
無数にある広告の中から、効果的なものを選定する作業は重労働です。
そのため、広告枠を提供する形式は、導入が手軽というメリットがあります。

反面、記事の内容に合わせてピンポイントで広告を表示する、ということはできません。そのため一定の収益は得られますが、効果的な広告を配置した場合と比べれば収益は落ちます

アフェリエイト

アフェリエイトとはAmazonアソシエイトA8ネットといったASPと契約し、特定の商品やサービスの広告を自分で貼り付けるタイプです。

手間はかかりますが、効果的な広告を設置した場合、広告枠を提供するよりも高収益が見込めます。
時を逃さず上手く行けば、月に数百万といった収益を得ることも可能です。

反面、そのような状態は長くは続かず、常に最適な広告を更新し続ける必要があります。
また、自由に作成した記事で高収益を得ることは難しく、アフェイリエイト専用の記事を書く必要があります。
収入を得ることが主体であるなら、書きたい記事を書くのではなく、職業としてブログを書くことになります

不当な広告

広告には禁じ手があります。
しっかりと法律で定められており、公正な取引を維持するための法律、正式名称「不当景品類及び不当表示防止法」。略して「景表法(けいひょうほう)」と呼ばれます。

簡単に言えば優良誤認を招く誇大広告や、不当に高価な景品を利用した広告等を禁止した法律です。

最近の例で言えば芸能人を利用したペニーオークションの事件がありました。実際には落札していないのにも関わらず、落札したかのようにブログに掲載したという事件です。
さらに悪いことに、オークションとは名ばかりで、実際には商品を落札することはできませんでした。

落札できなかったという不正は言語道断ですが、芸能人によるステルスマーケティング、通称ステマも議論を呼びました。

善意の口コミと宣伝の境界線

ステマとは「一見すると宣伝とわからない方法で、広告主の商品やサービスを紹介する」という行為です。
記憶に新しい例では、食べログのレビュー問題です。
他にも、まとめサイトに掲載されたページが、実は出会い系サイトの宣伝だったという騒動もありました。

何かと騒がれるステマですが、実は現在のところ明確な定義は存在しません

テレビショッピングでは、利用者の声を紹介します。
利用者の声には「個人の意見です」というテロップが入りますが、本当に個人の意見でしょうか?

今をときめくCMタレントが普段から牛丼やインスタントラーメンを食べているでしょうか?
スポーツ選手が本心でダイエットグッツを紹介しているでしょうか?

このように善意の口コミと宣伝は線引が曖昧です。
社会と分断された人が存在しないように、判断にはひいき目や好みといった要素が入ります。また、ドキュメンタリーといえど、ストーリーを劇的に仕上げるために、不自然な伏線を張ったり、見え方を変えたり、結果を操作することもあります。

全ての宣伝は意図を持って操作されています。

収益化がブログを殺す

以上のような広告を巡る「本音と建前」を人は嫌います。
境界が曖昧なため、どこで「騙された」と感じるかは人それぞれです。

一般的に「広告臭さ」を感じると、ブログに対する信頼は低下します。また、悪いことに、ブログの目的が収益であるアフェリエイターは、良い情報よりも、売れる情報を優先するため、感覚が麻痺し、容易に一線を越えます。

法的に許されれば何でもいい」「騙してでも売れればいい」「騙される方が悪い」といった具合です。
そうなれば、行き着く先は眉唾ものの収支報告や、怪しげな情報商材、果てには霊感商法です。

そこまで落ちれば、もはやそのブログはまともな人間からは信用されなくなります。何を言ってもオオカミ少年扱いです。

もしそれで如何ばかりの収入を得たとして何になるでしょうか。
金の力にとらわれて儲けようと必死にもがく姿は、哀れであり、下品です。

モチベーションを上げるために始めた収益化が、ブログを殺すこともあるということです。


常に「何のためにブログをやっているか」に立ち返る。そのためにまとめたブログ論でした。

もとより、右へ左へふらふらしながら作ったブログ論です。一年後違うことを言ってるかもしれませんが、そのときは一笑に付してください。



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